現代の私たちの生活は、以前に比べてずっと衛生的です。多くの感染症が予防され、寄生虫感染に苦しむことはほとんどなくなりました。しかし、この衛生的な環境が一方で免疫システムに新たな問題をもたらしているのではないか、という仮説が注目されています。この仮説は「衛生仮説」と呼ばれ、寄生虫や病原菌といった外部からの刺激が減少した結果、免疫系が過剰反応しやすくなり、アレルギーや自己免疫疾患、さらには発達障害のリスクが増加している可能性が指摘されています。
衛生仮説とは?
衛生仮説は、現代社会の高い衛生基準が、免疫系の正常な発達に必要な外部刺激を減少させているという考え方です。昔は、寄生虫や微生物が私たちの体内に存在し、免疫システムがこれらと共存することで適度なバランスを保っていました。これらの寄生虫や微生物は、過剰な免疫応答を抑制するために、免疫細胞である制御性T細胞(Treg細胞)を増加させていました。このTreg細胞は、炎症を抑える役割を果たし、免疫系のバランスを保つ重要な存在です。
しかし、現代では寄生虫がほとんど存在しないため、免疫システムはその調整役を失い、過剰な反応を引き起こしやすくなっています。この結果、アレルギーや自己免疫疾患の増加が見られるのではないかと考えられています。最近の研究では、同様のメカニズムが自閉症スペクトラム障害(ASD)にも関連している可能性が示唆されています。
自閉症と免疫系の関係
自閉症は神経発達障害の一つで、遺伝的要因や環境要因が複雑に絡み合って発症すると考えられています。近年、母体免疫活性化(MIA:母体の過剰な免疫反応)という妊娠中の免疫反応が、胎児の脳の発達に影響を与え、成長後に自閉症様行動を引き起こす可能性があることが報告されています。MIAは、感染や炎症により母体の免疫系が活性化し、胎児の脳や免疫システムに長期的な影響を与えるとされています。
ある研究では、MIAが胎盤内で炎症を引き起こし、免疫細胞であるTreg細胞が減少することが示されました。Treg細胞の減少は、胎児の免疫系や脳に影響を与え、後に自閉症様行動を引き起こす原因となる可能性があります。このため、Treg細胞を増加させ、炎症を抑えることが、自閉症のリスクを低減する鍵であると考えられています。
寄生虫由来のタンパク質がTreg細胞を増加させる
ここで注目されているのが、寄生虫由来のタンパク質Sjp90aです。これは、寄生虫である(日本住血吸虫)の卵から分泌される熱ショックタンパク質の一種で、免疫系に強力な調整効果を持つことがわかっています。Sjp90aは、妊娠中の母体に投与すると、胎盤内のマクロファージをM2型(抗炎症性)に変化させ、これがTreg細胞の増加を促します。増加したTreg細胞は、炎症を抑え、胎児の免疫システムと脳の発達を保護します。
この作用によって、研究ではSjp90aを投与された母体から生まれた子供が、自閉症様行動を示さないことが確認されました。さらに、Sjp90aを投与することで、母体の免疫バランスが改善され、胎児の正常な発育をサポートできることが示唆されています。
食品成分でも同様の効果は期待できるか?
Sjp90aのような寄生虫由来のタンパク質が持つ強力な免疫調整作用は、通常の食品成分で完全に再現することは難しいとされています。しかし、いくつかの食品成分でもTreg細胞の増加や炎症抑制効果が期待できます。例えば、食物繊維は腸内で短鎖脂肪酸に分解され、これがTreg細胞を増加させ、炎症を抑える効果があることが知られています。また、プロバイオティクスやビタミンDも、免疫系のバランスを整え、Treg細胞を増やす効果が報告されています。
ただし、これらの食品成分はSjp90aほど強力ではないかもしれません。寄生虫由来のタンパク質は、長い進化の過程で宿主の免疫系を巧みに調整する機能を獲得してきたため、特定の免疫調整効果を発揮します。このため、寄生虫由来のタンパク質を応用した治療法が、将来的に自閉症リスクを低減するための新たな手段として注目されています。
まとめ
私たちの免疫システムは、環境の変化に敏感に反応します。寄生虫が共生していた時代には、それらが免疫系の調整役として機能していました。しかし、現代の清潔な環境では、免疫システムが適切に調整されないことで、アレルギーや自己免疫疾患、さらには自閉症リスクが高まる可能性があります。寄生虫由来のタンパク質Sjp90aは、この免疫調整を再現し、Treg細胞を増加させることで、自閉症の予防や治療に新たな可能性をもたらしています。
将来的には、Sjp90aのような寄生虫由来のタンパク質を用いた治療法が、現代の健康問題に対する新しいアプローチとして活躍するかもしれません。私たちの免疫システムと外部環境の関係を理解することは、これからの健康維持において非常に重要な視点となるでしょう。
(参考文献)
The rebalancing of the immune system at the maternal-fetal interface ameliorates autism-like behavior in adult offspring
Cell Reports 43, 114787 (2024)
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